白狐について

白狐にのっておいでなる秋葉さま

白狐にのっておいでなる秋葉さま

すでに周知の通り秋葉さまは、白狐にのっておいでなる。

凡そ仏さまを造るについて、即ち造像、画像を以て表現するについてはその形式が定まっている。例えば、頭髪の状態、宝冠の種類、座法、頭光、身光、姿勢など、仏様によって異なっておる。

台座について

造像の形式の一つに台座がある。台座というのは、仏・菩薩、その他諸尊の座し給う所の座物をいうのである。

これには色々の種類、例えば金剛座・獅子座・蓮華座・磐石座・荷葉座・宣台座・獣鳥座などがある。

面してこの獣鳥座としては、獅子座・象座・馬座・孔雀座・迦楼羅座・牛座・亀座・鹿章座・鶏座・猪座・鬼座などがある。

そこで秋葉さまの座としては、以上列挙したような種類のどれかを用いられそうなものであるのに、そうはしないで白狐が台座にしてある。印度伝来の造像の形式に於いて白狐を用いた例は、寡聞にして未だこれをしらない。これはどうも日本独特のものである。

白狐が台座であるという意味

これに関して他の方面から観察してみると、一口に仏教といっても印度と中国と日本とでは、その特色を異にしている。即ち印度仏教は仏(釈尊)を中心とし、支那仏教では法(教学)を中心とし、日本仏教では僧を中心をとして居って、日本仏教は単に印度の仏教そのままのものではなく、中国の仏教そのままでもなく、朝鮮や中国から輸入してそれをさらに日本化したのであるから「日本仏教」と称し得べき特殊性を持つようになっている。

殊に鎌倉時代になると武家風文化が新興し、その中には封建制度的秩序と個人性の発展が含まれているが、この個性の発展と共に一方元寇などの刺激により、民族的自覚が高潮し、国家意識、日本精神などが非常に強まってきた。

こうした思想傾向を基礎とすることによって、印度仏教美術の殻を脱皮して、獅子座とか象座とかいうような印度伝来の形式とはかけ離れた白狐を持ってきて「座」としたところに日本の精神史的意義が認められているわけである。

なぜ白狐なのか?

然らばなぜに白狐を持ってきたか、一体仏さまとの台座との配合についてはなんらかの意義が含まれているのであって、専門的な話は抜きにして砕けていえば、不動明王の如き強い力が表現される居るお方に、優美な蓮華では釣り合いがとれぬから強い磐石を座とする。

慈父深き柔和な阿弥陀如来の座に頑固な磐石や獰猛な猪では不釣合いだから蓮華座を配するのである。

狐についての言い伝え

さて狐に就ては古来色々な物語が伝えられている。幕末の頃、高野山の或大徳が中気で寝ておられた時、縁側へお金をだしておくと狐が使いをして終日にして江戸で売っている薬が持ってきてあるという話が伝わっている。

我が秋葉山本坊、峰本院第12代善応法院が大和国大峰山へ修行に行かれるときはいつでも秋葉山の狐が大井川まで見送り、帰国の時には、やはり大井川まで迎えに行ったと伝えられている。また、平安朝初頭に出来た日本最古の説話が掲げられ「きつね」の語源さえ示されてるなど、古往今来人と狐の交渉は浅からぬものがある。

かくの如く千里の外のことを知り、人の心を知り、隠顕出歿の妙を得ておることに依って不思議な神秘力を持つ、謂わば一種の霊獣の如く思われていることからして、飛行自在の神通力、不思議の法力をもってござる秋葉様の使者として相応はしいものがあるという着想から台座に採用されたと考えられる。狐の年老いて毛白の白くなったのが白狐であるとされているから、白狐こそはその霊能、不思議力が一層高度なものであろうと思われて特に白狐が秋葉さまの使者であり、従って台座とせられたものであると考えられた。